我が国には資源が少ない。従って第二次世界大戦が終わり、当然の如く必死になって働き努力をして必死になって世界経済的と戦い、そして他国の知財を応用し技術力で経済発展を遂げてきた。その後、我が国は自らの知財による知財立国を目指すために国を挙げて努力をしてきている。しかし、政府の掛け声とは裏腹に国民または産業界は冷ややかである。知財立国を目指さなければ我が国はいつの日にか崩壊し、じり貧に追い込まれてしまうことは国民もよく理解している。理解していても知財の難しさは計り知れないものがある。知財は、新規性のオンリーワンの上に実際に役に立たなければ意味がないのであるが、そのような知財は政府が号令をかけても国民一人一人の意識が変わらない限り功をなさない。幼いころからの発想の教育、知恵を使う教育が大切なのである。記憶力に頼る教育ばかりをしていては優秀な公務員は育っても、知財立国は愚か、どんな世界を求めても達成されないであろう。
幼いころ或いは常日頃の姿勢、意識が知財には必要なのである。困ったときにそのまま「困った」で終わるか。何かどこかに解決策はないかを考える癖をつけることである。「必要は発明の母」といわれるが真に必要であれば必ず知財は考えられ生まれるのである。
面白いことに、この知財を生み出す頭脳は一方でリスク管理に必要な頭脳と同じである。リスクマネジメントは守りの経営とよく言われることがあるが、本当にそうであろうか。リスク管理が本当に守りのためであるのなら発展や進歩を阻害する仇となってしまう。リスク管理は守りの手法ではない。新たなアイデアを出し攻めて行かなければリスクの管理は不可能である。考えつかないこと、不測事態の対応は発明と同じ道なのである。従ってリスク管理の優れた組織、企業には優れて知財が誕生するのである。
「知財立国」と「リスク管理大国」は同じベクトルで、同じ意識と同じ政策活動の中から生まれ達成されるのである。